BE VOW LOCKED

スーパーエキセントリックメランコリーメトロポリタン日記

大男の上司に軟禁されかけた話

『こんにちはおじさん』という二つ名を持つ同じ課の上司が、3ヶ月以上もの間、しつこく俺を食事に誘い続けていた。50代。巨漢。強面。「おじさん」という語感とは裏腹に親しみやすさは全くなく、常に高圧的な喋り口調。体重は約0.1トン。俺が結婚以前、当時の彼女(今の妻)と一緒にいるときに街のメシ屋で偶然2度もエンカウントしてしまい、「こんにちは」と話しかけてくることから『こんにちはおじさん』と名付られた。適当すぎる。

何故3ヶ月以上もその大男が俺を、そして妻も一緒に食事に誘ってくるのか、今もその詳しい理由は謎に包まれているのだが、考えられる理由としてはいくつか心当たりがある。

1.俺が新婚だということ(結婚祝いも兼ねて?)

2.大男の住む新築の一軒家の近くに俺の妻の出身地(雪国)の特産品を扱う小洒落た料理屋ができた

3.同じ課の部下からの信頼を得たい

4.俺のことが好き

 

たとえどんな目的を持っていても、俺がその大男と会食する理由にはならないし、そもそも俺は会社の人とプライベートの時間を絶対に作りたくないマン(飲み会は別)なので、その大男の誘いをヘラヘラしながら断り続けていた。

おれが結婚して今の部屋に住み始めたのが1月中旬。食事に誘われ始めたのは2月頭くらいか。覚えてはいないが、その数週間後にはナントカウイルスが流行り出し、自粛ムードでその話が自然消滅することを俺は望んでいた。なのに、6月に入り緊急事態制限が解除されるや否や、「そろそろどうだ」「嫁さんは行けるのか、大丈夫なのか」「ご馳走してやるからよ」「次の土曜日の12時はどうだ」と以前よりもアポの取り方が具体的になり、パワーアップして距離を詰めてきた。解除されるや否やだ。アズスンアズこんにちは。アズスンアズ大男。

 

 いや、お前が誘ってんなら奢るのは当たり前だろうが。そもそも行きたくねえんだって。人間になりきれなかったモンスターだから他人の気持ちがわからないのか?しかもなぜランチ?相場は飲み会じゃねえの?俺も嫁も酒が好きなのは知ってるだろ?お前が勤務中に何度もしてくるクソつまらん雑談に合わせて教えてやっただろ?奢るなら謎ランチじゃなくて旨い酒を奢れ?しかもなぜ土曜日?休日なんだが?新婚の休日なんだが?休日出勤しろってか?その時間を奪うほど楽しい時間をお前は提供してくれるんか?小洒落た郷土料理屋?全然行きたくねえよ。へんな郷土料理よりビッグマックの方が美味いだろうが。大男が郷土料理を食うな。ビッグマックを食え。

 

そんなモンスターにも人間の子供が2人いる。次女は同居中の高校生、長女が実家を出てその雪国で大学生をしているという。それに勝手にシンパシーを感じたのか、ことあるごとにおれを呼びつけてその雪国の話をしたがった。失敬、話をするというのは語弊があり、喋っているのは大男だけでおれは言葉のサンドバッグ状態。渇いた相槌、死んだ魚のような目で、あたかも知っているように話を合わせる。相手を気持ちよく喋らせる技術は、新卒で入ったブラック会社の営業対話スキルで培った。こいつはしゃべるタイプのコミュ症だ、おれとは真逆、水と油である。前提として、この大男は社員から好かれてもいないし尊敬もされていない。おそらく根は優しいが、その高圧的な喋り方と見た目で話しかける人皆傷つける。人間の友達がいないのである。それに加えてケチ。これは余談だが以前、全く行きたくないキャバクラに連れていかされ、何故か割り勘をさせられた過去がある。そのときのおれは確かペルー人の嬢とワールドカップの話をしただけだった。ケチエピソードはそれだけに留まらず、住む期間が定められている家賃が格安の社宅に、つい最近まで20年ほど居座り続けていたという。ようやく家を買い社宅からの退陣をしたが、そのケチさは全社員からの折り紙付きであった。

(新卒で入った会社についての過去記事↓)

simerma.hatenablog.com 

そんなせせこましい大男と食う土曜日のランチの時間になってしまった。おれは押しに負け、会食を承諾してしまったのだ。何度も同じ男に告白されて付き合う女の気持ちが少しだけわかったような気がするが、おれはその大男の気持ちが今でもわからない。

 

その店は比較的綺麗な店であり、小料理屋というよりは甘味処という感じだった。1種類しかないランチ定食を大男がおれたちの分を含めて3つ頼み、「家はこの店のすぐ裏にある」「娘の大学の近くは雪がたくさん降る」など、すでに300回聞いたクソつまらない雑談をした後に料理が運ばれて来た。体に良さそうな、ランチ。味が薄く、ごちゃごちゃ野菜が入っている女子にウケそうな、そんなランチ。おれが望むビッグマックとは対極にあるような味付けだった。

最初から料理の味には期待していなかったし、むしろ上司、妻、おれの3人という謎の面子で食うメシはビッグマックでも美味しくない。おれたち夫婦は当初の作戦である「さっさと食ってさっさと帰る」を全うし、出会って1時間ほどで会計を済ませることに成功した。デザートを食うというサブクエストもなんなくクリア。5千円札を笑顔で支払う大男におれたちは愛想を振りまいた。

「ごちそうさまでした、ありがとうございます。」妻からも今までに見たことのない作り笑顔が見えた。いいぞ、乗り切ったぞ、なんとか無事にこの休日出勤を終えることができたぞ、さあ早く帰って酒を飲む準備だ。そんなことを思いながら店を出たおれたちに、モンスターはこう言った。

 

「ウチに寄っていけよ。今誰もいねえからよ」

 

 

一瞬何が起こったのかわからなかった。

 

「いやいや!大丈夫です!」

「いいからいいから、近くだからよ」

「本当に大丈夫です!」

「遠慮しなくていいからよ」

 

そう言って先陣を切って歩く大男の後ろでおれと妻は目を丸くした。距離感の詰め方が異常なほど強引なのか?それとも本当におれたちが遠慮しているだけだと思っている脳内ハッピーセット野郎なのか?どちらにしても、言語が全く通じない未知の生物に遭遇したような感覚になり、今までに経験のない恐怖がおれたち2人を襲った。怯えきった様子の妻を横目に、おれはそのUMA(未確認生命物体)の後ろで中指を立てることしかできなかった。

 

そこから先のことはあまり覚えていないが、確か、新品のスリッパを履かされ、リビングのソファに2人で座らされ、そのソファのリクライニング機能、玄関先の収納スペースの多さ、徒歩でスーパーや薬局に行ける立地の良さなどを自慢されたと記憶している。向こうからの一方的なコミュニケーション。自慢を聞くだけの時間。無勉強で臨んだTOEICのリスニング問題かのように、言葉が耳をすり抜けていった。

ここまでの出来事を要約すると、おれたちは車で30分の距離の場所にわざわざ足を運ばされ、新しい住処や家具を自慢させられ、訳の分からないランチを食わされ、クソみたいな世間話をさせられ、家族という他の目撃者がいない隙に軟禁された、ということになる。奇跡体験アンビリバボー。終わりが見えない怖さと、上司の家という特殊な環境下における精神的疲労は計り知れなかった。

 

しかし、解放の瞬間は突然やってくる。

 

 

 ガチャリと玄関の開く音がした。どうやら同居している次女らしかった。おれたちは今しかないと立ち上がり、挨拶をする流れでそのまま脱出しようと玄関へ向かった。おう、まだゆっくりしていけよ。いや、本当に大丈夫です、あの、買い物とかもしなきゃいけないんで、本当に、失礼します。おうそうか、じゃあそこまで送るぞ。あ、はは、はい。

 

なぜそこまで追跡したがるのか本当に理解が出来なかったが、そのままおれたちは何とか逃げ切り、車に乗ってその場を後にした。命に別状はなく、大事には至らず、峠は越え、母子共に健康。そうだ、おれたちは勝ったんだ。

 

 

今思い出しても身の気がよだつ出来事だった。その時は冷静に考える事ができなかったが、今改めて振り返ると、あの軟禁未遂事件は、知能ではなく腕っぷしや喧嘩の強さだけで社会を生き抜いてきたあの大男なりのOMOTENASHIだったのかもしれない。よく言えば、不器用。ただ、そんな茶目っ気のある3文字の日本語でおれたちが経験した恐怖や不快感、疲労感を片付けて欲しくはない。そしておそらく残念なことに、令和のこの時代にも、未だに自分なりの正義や腕っぷしだけで社会や会社がどうにかなると思っている「不器用」な奴はおれたちの周りに蔓延っている。彼らが定年退職するまでのあと約十余年、おれたちはいやでも関わっていかなければならない。そしてうまく共存するためには、彼らが変わるのを期待するのではなく、まだ脳味噌が柔らかいおれたちが、『こんにちはおじさん』のようなキツい人種を受け入れていくしか道はない。その一歩は小さいが、人類にとっては大きな飛躍である。おれはそう信じながら、今日も『こんにちはおじさん』のもとで働くのである。

 

 

草々

 

 

 

 

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